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B29が墜落した日

ページ番号:0002209 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

荒木 登志男さん(諫早市高来町)

昭和19年11月ある日の9時30分頃のこと、湯江町役場から空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り響く中、五家原岳から多良岳にかけて並んで飛ぶ、5から6機の大型飛行機が見られた。

4台のプロペラを付けた大型飛行機は中国大陸から飛んできて、諫早市内や大村などを空襲しての帰り道だったのか、「ゴーゴー」と大きな爆音を空全体に響かせながら東の小長井村山茶花(さざんか)高原の方向へ一列になって飛んでいた。

湯江三部壱地区からは丸見えの轟峡えぼし岳の上空を通過中には、地上から攻撃をしているのだろうか、飛行機の周辺では砲弾の破裂する大きな爆発音が「バーンバーン」と空全体に響いたし、また山火事のような黒煙が空中に広がって、多良岳の周辺一帯は恐ろしい光景だった。

一方、鳴り止まない空襲のサイレンと飛行機の大きな轟音に驚かされた隣組のみんなは、表側の道路に飛び出しては、北側の上空を眺めて何事かと大騒ぎの状態でした。

飛行機は山手の上空を次々と飛んでくるし、煙幕ただよう空中では爆発音もひどかったので、敵の爆撃機の空襲だとすぐにわかり、みんなは恐ろしくなって家の中へ逃げ込んでいった。わが家でも鳴り響くサイレンや祖父にあせがられ(焦らされ)ながら、母親手作りの防空頭巾(ぼうくうずきん)を兄姉みんな頭にかぶせられて、少し離れた弘法(こうぼう)さん神社の横にある防空壕へ早足に避難させられた。

家族みんなが防空壕へかけ込んだ頃には、敵の飛行機も通り過ぎたし、空襲のサイレンも止んだので、怖さもとれてほっと胸をなでおろした。一方、祖父はしばらくの間、壕内の天井すき間から西の空をじっと見回していたが、小江深海の海岸上空で「ピカッ」と光って「ブーン」と小さなエンジン音で動き回る小さな飛行機を発見して、日本の戦闘機だと教えてくれた。

しばらくしてから「パンパン」とかん高い機関銃の発射音が上空で響き渡り、敵の爆撃機の第2グループが飛んできて空襲をし、日本の戦闘機が機関銃で打ち合っているように思えた。じっと時の過ぎるのを待っていると11時頃には、大空の騒ぎは収まり、元の静けさを取り戻した。

祖父は防空壕の出口板戸を取りはずして周囲を見回していた。みんなも帰り支度をしながら付近の様子をうかがっている時、一瞬、空を見上げると、湯江駅の方向から飛んできた、灰色の大きな飛行機が上空200m位の真上を飛んでいたのでびっくり驚いた。

4台のプロペラが付いた大きな飛行機は、鉄道線路沿いに、エンジン停止で音もなく、ゆっくりとした飛び方で、東の金崎地区の方向へ飛んだ。防空壕の前にいる祖父のそばで、飛び去る大型飛行機の動きをじっと眺めていると、水の浦地区の海岸沿いから小長井村の方向へ飛びながら降下するので、湯江との町境にある長里の大崎半島付近では、高度も低くなっていた。

防空壕の真上を飛行するB29爆撃機の画像
防空壕の真上を飛行するB29爆撃機

ゆっくりと飛ぶ大きな飛行機は珍しかったので、敵の爆撃機とは知らず、山に衝突しそうな飛行機を小さくなるまで見ていた。

その後のこと、母から「小長井駅前の海にアメリカの飛行機が落ちたばい」、また「湯江からも小長井まで歩いて行き、大きな飛行機を見た人がいる」と話をしていた。さらに小長井では大きな飛行機を真近で見られるので、「見物人が多い」とも言っており、どんな飛行機なのか見に行きたかった。

小長井まで行くには「曲がりくねった県道を歩くよりも鉄道線路を歩けば近道」とも聞いていて、誰かが行けばついて行って見たいと思っていた。

数日後の午後のこと、空腹を満たすために、ハッチャン粉(さつまいもの残りくず粉)をもらいに湯江駅横にある農協製米所へ行った。帰り道に九州電力取次所横(現・十八銀行前)で立ち止まっていると、東の新田橋の方から飛行機の大きなプロペラ1台を積んだトラックが走ってきた。トラックの後ろの荷台に積まれたプロペラの回転羽根は3枚だけが見えたが大きかったので、斜めに立てかけて積み込まれていた。

小長井駅前の海に墜落したB29爆撃機の残骸は船で運び出されたと聞いていたが、目の前のトラックで運ばれてきたプロペラは大きかったので、小型の戦闘機のものではなく、B29爆撃機のものと思われた。そのトラックはゴトゴト泥道の県道をゆっくりと走りながら西の光宗寺の方向へ走り去った。

時は変わって平成27年11月21日の午後のこと、小長井町で墜落したB29爆撃機の慰霊祭が執り行われたので参加をした。思い起こせば、昭和19年11月に防空壕の真上を静かにゆっくりと飛ぶ、巨大なB29爆撃機の最後の飛行姿を目撃し見送ったこともあって、人の命のはかなさを痛感し、ご加護を願った。

(令和3年8月寄稿)