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愛犬「よつ」が出征した日

ページ番号:0002204 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

荒木 登志男さん(諫早市高来町)

6才の小さいときのこと、愛犬「よつ」が犬の殺し屋さんによって目の前で叩き殺される衝撃的な出来事があった。そのことは今でも思い出せば身震いがするし、生きものの殺し方も教えられた恐怖の瞬間でもあった。

それは昭和19年冬のある日、午後のこと、父が湯江駅近くにある警察派出所に犬の「よつ」を連れて行かんばならんと言ったので、一緒に引っぱって連れて行った。そして派出所の玄関の軒先にある木柱に犬の縄ロープを結びつないだ。

子どもだったので、これから何があるのかわからないまま待ちながら周辺の景色を眺めていると北方の湯江小学校の方向から自動車が走り下るのが目についた。当時は小学校の下手は広大な田んぼ地帯だったので、見晴らしはよかった。そのうえ自動車は数少なくて珍しかったので、祇園神社の横を走っているのをじっと眺めていたが、東方の西三部壱地区の中央部になると住宅屋根で見えなくなった。

時間もたってからのこと、県道の東方向から自動車が現われて近づき、警察派出所前の広場に入ってきた。自動車が停止したので珍しさもあって、近づき見入っていると、車から作業服を着た男性2人が1m位の木の棒と布袋を持って降りてきたが、何をする人なのか、わからなかった。その男性は父親としばらく立ち話をしていたが、派出所の軒先の柱につながれている「よつ」の所に近づいたので、父と一緒に犬のそばまで近寄った。犬の「よつ」は人馴れしていて、穏やかなそぶりだった。

その後のこと、車できた男性は、犬の前に立ちふさがり持っている木刀をすばやく右肩上に振り上げたと思った瞬間、犬に向けて振り下ろした。愛犬「よつ」は「ギャッ」と一瞬、声を出したが動かなくなった。愛犬「よつ」を木刀で打ち殺した。犬の殺し屋さんの男性は、「よつ」の目と鼻の間の眉間に木刀を命中させて即死させてしまった。木刀による強烈な一発の直撃で殺された、驚きの一瞬を目の前で見てしまった。犬の殺し屋さんの男性は、手早く犬の縄ロープをはずし布袋の中に入れて、自動車の後ろの荷台にある、木箱のカゴの中に抱え入れた。父と私は、男性がされている処理作業を驚きながらだまって見守った。しばらくすると、他の住民が来られたので、私たちは「よつ」の縄ロープを持ってその場を離れ家に帰った。

犬の殺し屋さんに「よつ」が殺された湯江警察派出所前の画像
犬の殺し屋さんに「よつ」が殺された湯江警察派出所前

「よつ」が殺されたのは何だったのか、わからずにいると、帰り道で父が「戦争のために犬も出さんばできんやった」と話してくれた。死んだ「よつ」は雑種の小型犬でメス犬だった。わが家では野原を走り回ったり、境川では川原遊びや水浴びもさせた。また、うさぎの餌の草切では道連れ役にもなったし、家では寄りつき回って番犬にもなった。家族の一員としては可愛い愛犬だった。後日、親たちから聞いた話は、「日本の兵隊さんが遠い寒い国で戦争をしている」、そのために「兵隊さんが寒くないように毛皮を送ってやられる」と教えてもらった。

その当時は「日本は戦争に勝った勝った」とみんなが信じていたので、愛犬「よつ」は兵役で「戦争に行った」し「お国のためになった」と思い直していたので、「よかったよかった」で子どもの頃は忘れられないわが家の愛犬だった。

(令和3年8月寄稿)