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真上を飛ぶ敵機の大群を見た

ページ番号:0002201 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

荒木 登志男さん(諫早市高来町)

子どもであった戦時中のこと、夜中の熟睡中に突然に叩き起こされると、家外からは「ゴォーゴォー」と轟音が鳴り響いて騒がしかった。縁側に出て空を見上げると、家の真上から有明海上空にかけて、沢山の飛行機が空いっぱいに広がって西の方向に飛んでいた。
その夜は月夜だったこともあり、地上からは黒ずんだ20機以上の飛行機が大群をなし飛んでいたのがはっきりと見えたので、飛行機の多さには驚き圧倒された。その当時、日本の飛行機が一度に飛んで来たのは2~3機がやっとだったので、大編隊を組んで飛んできた敵機の多さからは、敵国アメリカの飛行機だとすぐに分かった。
その敵機の大群は、どこかの「夜間空襲」をするために低い高度で飛んできたのか、縁先から真上夜空を見上げると飛行機の機体が大きく見えたし、主翼の左右部分には、2台ずつプロペラのエンジン部分が付いているのも目についたので、大型の爆撃機だと知った。その飛行機の大群は東の方角から飛んできて、大空全体を「ゴォーゴォー」とエンジン音の爆音を響かせながら西の方向に向かっていたが、地上から見上げた敵機の大編隊は、前と後ろの間隔も、また斜め横の間隔も変わることもなく飛んでいたので、黒い影絵が音を出し動くように異様だった。しかも飛んでいるスピードは、プロペラ機のためゆっくりだったので、爆音が聞こえ出してから真上上空を通過し、遠く西の方向に去るまでは優に時間がかかった。その間、爆撃機は編隊を崩すこともなく、諫早方面に向けてゆうゆうと飛行していたので、敵飛行機が通り過ぎるまでは、「地上で見える家の明かりや人間の動きでも発見されたら、爆弾が落とされるのではないか。」と怖かった。
しばらくは暗闇の空をじっと見上げていたが、今まで見たことがない大型爆撃機の大群のうえ、エンジン音は空全体に響き渡る大轟音で気も動転し、恐ろしくなって電気が消されている家の中に逃げこんだ。一方、飛んでいる大型ジェット旅客機に比べれば、当時のプロペラ機の大群は、遅くてゆっくりした飛行だったし、プロペラのエンジン音はヘリコプターが何機も並んで低く飛んできたような大轟音だったので、敵機襲来となればみんなが恐怖だった。
その後聞いたことには、真夜中に上空を通過した敵の大型爆撃機は、荒尾や大牟田地方の工業地帯を低空で夜間爆撃をした後、中国本土への帰り道だったとのこと。また、月夜に見えた敵機の機影からは、当時の主力爆撃機で4発プロペラのB24爆撃機のようにも見えたので、とっさに「湯江からは近い大村飛行場から、日本の戦闘機が早く飛んで来てさえくれれば、動きが遅い敵の爆撃機はやっつけられるのではないか。」と心待ちにもしていた。
昭和20年になると、戦況悪化により昼夜をかまわず空襲警報のサイレンが「ブーブー」と、けたたましく鳴り響いて、敵機襲来を事前に知らされた。そんな時に日本の戦闘機が敵機襲来の前に空に飛び上がり、待ち伏せ攻撃をしてもらいたかったが、1機も飛んでは来なかった。飛来したのは、敵の飛行機ばかりが上空をゆうゆうと飛び回って空爆をしていたので、サイレンが鳴り響くたびに戦争への不安感がただよった。子ども心にも空全体に広がって飛んできた敵機の大群と、空全体に響き渡ったプロペラエンジン音の大轟音の衝撃は、今でも忘れられず脳裏からは消えない。

家の真上を飛ぶ敵爆撃機の大群のイラスト

(平成27年12月寄稿)