ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 企画財務部 > 企画政策課 > 不時着した日本の練習機を見た

本文

不時着した日本の練習機を見た

ページ番号:0002200 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

荒木 登志男さん(諫早市高来町)

初夏のある日のこと、近所の子ども仲間4~5人で境川に架かる「しんばし(新田橋)」下の淵で川泳ぎをして遊んでいた。水は少し冷たかったので、泳ぎの中休みには日当たりの良い堤防石垣に腹ばったり、上向きになったりでひなたぼっこをして体の暖を取った。
心地よく寝そべり空を見上げていると、北の方角の川上神社方向から、2機の飛行機がゆっくりと飛行し近づいてきた。飛行機は真上を通過し、南の有明海方向に飛んで行くようだが、間近に迫ると2機のうちの1機が次第に遅れだし降下をはじめた。
何知らず見上げていると、先導する飛行機は後続機に接近しながら並び飛行していたが、後続機が次第に遅れて降下するのを見失ったのか、先導機は速度を上げて追い抜きながら上空へ舞い上がった。先導の飛行機が飛び去った後からは、エンジン音がしない後続機が、100mもない位の低空で真上上空を通り過ぎたので、機体は大きく見えた。
その飛行機は、境川下流の鉄橋近くまで飛んで行くと、電柱の高さぐらいまで下がっていたので、電線に引っかかりはしないかとヒヤヒヤだった。突然、中学3年の松尾の兄ちゃんが「おっちゃける(落ちる)ごたる」と叫んだので、とっさにヘコ(水泳パンツ)姿のまま飛行機を追って、下手の観音堂の方へみんな駆けだした。
飛んで行く飛行機は、見ている間に鉄橋の上の電線をすれすれで飛び越えて、たぶの木口の淵沿いに生い茂る竹薮(たけやぶ)の上で見えなくなった。みんなは、降下する飛行機をぼう然と見送っていたが、松尾の兄ちゃんが海の近くに「おっちゃけた(落ちた)かもしれん見に行こう。」と叫んだので、みんなは飛行機を見に連れて行ってもらうことになった。
有明海までは、線路南側に田井原地帯が広がっていたので道は遠かったが、目上の仲間にあせがられ(焦る)引っぱられながら、飛行機が見える海岸まで歩いた。海は干潮だったので、飛行機は遠く沖合の引き潮が残る潟海にひっくり返ることもなく不時着をしていた。
そこまでは、ドロドロの潟や海水が溜まった所があり、足元が悪かったので、松尾の兄ちゃんの背にからわれて飛行機のそばまで行った。その飛行機は、ひざ位まで水に浸かる潟海の中で、雲仙岳の方角を向いたまま着地していた。主翼の左右からは2本の車輪を出していたが、その半分は水没していた。また、胴体前にある3枚羽根のプロペラは先端が少し曲がっていたが、前輪の代役をして立っていたので、機体は水平状態に保たれていた。そのうえ干潮時で潟海が浅かったので水没は免れたが、機体には跳びはねた潟泥がくっついていた。
一方、風防を後ろにずらした操縦席には、飛行帽を被った2人の飛行士が乗っていたが、潟海のため降りられないのか、前席の人は座ったまま、後席の人は立ち上がって周囲を見回していた。しばらくの間に、うわさを聞き付けて集まった大人20~30人が、黒光りする大きな飛行機を取り囲み、物珍しく眺めていた。当時は干潮のため、海水はひざ元までだったが、子ども心にも「時間が経てば海が満ってきて取り残されるのではないか」と不安になり、背中にからってもらっている松尾の兄ちゃんに「もう帰ろう。」とせがんで帰った。
その後のこと、「この飛行機は2人乗りの高等練習機で、訓練がよくされていたので無事に着陸をしたようだ。」と聞いた。
年月は過ぎて平成21年2月、「諫早湾干陸地のクリーン作戦」があった。偶然にも地域活動で、先輩の増山忠男氏と美化作業をする機会があったので、練習機の落ちた場所など教えてもらった。「不時着した場所は、ここら付近よ。飛行機はエンジンが故障で落ちたのだろう。指導教官が上手だったので、家を避けて干潟地に着水しプロペラが前輪代わりになった。」と話していた。また、「当時は、海がすぐにも満って急だったので、引き揚げには周辺の人に動員がかかった。同時に、縄ロープや材木などがかき集められて、人海戦術で陸地まで引き上げられたので、急で至難の作業だったらしい。また、引き上げられた貴重な飛行機は、一部分が解体をされてトラックで運ばれた。」と語られた。短時間の救出劇で、人も飛行機も無事だったことが不幸中の幸いだった。
有明海に不時着した日本の練習機のイラスト

(平成27年12月寄稿)