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家の前を兵隊さんとタンクが通った

ページ番号:0002199 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

荒木 登志男さん(諫早市高来町)

戦時中のある日のこと、境川に渡された「しんばし(新田橋)」東側の溝口方向から「ガラガラ」と大きな音が聞こえたので、何かと思い、橋の中ほどから橋向こうを眺めると往還(街道)端で沢山の人がざわめいていた。そこでは、兵隊さんが歩き近づいて来るのをみんなが眺めていた。また兵隊さんの後ろからは、トラックのような大きな車が動いてくるのも見られた。近づく兵隊さんと車の行列は、遠方の蚕の飼育場がある催青場付近まで続いていたようだ。その列は見る見る間に橋付近まで迫ってきたので、家に知らせようとかけ戻った。
しかし近所のみんなは知っているのか、往還(街道)に出て「タンクが来たばい。」と言っていた。程なくタンクと兵隊さんの隊列は「ガラガラ、ゴトゴト」と大きな地響き音を立てながら、橋を渡って目の前に現れた。その先頭は、10人程の兵隊さんが2列になって歩行されていたが、後に続いて大きな音を響かせながら、鉄の塊の「タンク」が迫ってきたので、初めて見る「タンク」が戦車のことだとも分かった。
道端には、日の丸の旗をもって出迎えをした人もいたが、目の前を車体も動輪も全部が鉄で出来た頑丈な戦車が4~5台、大きな地響き音をたてながら通ったので、子ども心にも驚き圧倒されてしまった。兵隊さんも戦車も「しんばし(新田橋)」の坂を下ってからは、家並みが続く三部壱地区を通って湯江駅の方向へ進んで行った。
その戦車の動く速さは、前と後に兵隊さんが歩いていたので、人の速足くらいでゆっくりだった。しかし、当時の県道は砂利道だったので、目の前を通る重い戦車の動輪のキャタピラ音やエンジン音、そのうえ砂利の泥道を通る地響き音が、非常に大きくて迫力があった。しかも戦車と併進している兵隊さん達は、大きな騒音と足元が悪い砂利道を歩き転進されていたので、大変な苦労だとも思った。
また、小さな子どもが初めて見た大きな戦車には、車体中央部の高い所に、1人の乗員が上半身を出したまま立っていたので、大砲の砲台が運転席への出入口になっていたようだ。そのうえ戦車の前面にある大砲の両脇にも、2人の兵隊さんが砲台につかまりながら座っていた。その大砲の砲身は、1mはない位だったし砲筒も太くはないようなので、戦車の大きさから乗組員は3人位しか乗車できなかったかもしれない。また、重い戦車は木造の「しんばし(新田橋)」を渡って来られたので、日本の軍隊では、町中を走っても小回りがきいた小型軽量の戦車が主力だったのかもしれない。
一方、目の前を通った兵隊さんは、頭に布製の戦闘帽をかぶり背中にはリュックをからわれていたが、鉄かぶとは背中に釣り下げていたようだ。また兵隊服は泥茶っぽい国防色の服、足元はゲートル巻き(脚絆)の姿のうえ、片手に鉄砲をかついで歩いて通られたので、子ども心にはかっこ良くあこがれがあったのか、紙と鉛筆さえあれば兵隊さんとタンク(戦車)の絵はよく落書きをした。
さらに当時は、戦況悪化に伴い昼夜をかまわず敵機襲来があったので、ひんぱんに空襲警報のサイレンが鳴っていた。戦車も兵隊さんも湯江の町を通って行かれたのは、九州の西方面の防衛防御が迫られたので、戦車隊が移動したのかもしれない。しかし、東目のどこから出発したのか、今からどこの戦場に行くのかは分からないままに戦車隊が通り過ぎたので、親達には戦争が身近に差し迫っている危機感があった。

家の前を通った兵隊さんとタンクのイラスト

(平成27年12月寄稿)