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姪を探した三日間のできごと

ページ番号:0002193 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

~姪を探した三日間のできごと~ 染田 レイさん(長崎市)の手記

この文書は、染田レイさんが、原爆の被害に遭った姪の君江さんについて書き留めたものです。染田さんは既に他界されており、染田さんの次女(諫早市在住)がこの文書を四~五年前に発見され、市にご提供いただきました。

以下、一部を現代の言葉に変えて掲載しております。

純心女学園に通学中
原爆にて死亡につき
君江さん文面書

私は昭和二十年に田舎に疎開していました。

その年八月九日朝、仕事をしていたら十一時二分頃

突然大きな爆音がして、家の天井や建物等ふきとばされ、

びっくりして長崎市内の方を見ると気味悪い黒けむりが立ちのぼり、

ただぼうぜんとしていました。

その頃妹の子供君江さんが純心女学校に通学していたので

君江さんの安否を気遣っていましたところ、

君江さんの両親から子供の行末を探しに行くからと頼まれ、

親類一同三日間に渡り見つけに行きました。

大橋まで行った時には目もあてられぬほど焼け野が原となり、

いたる所死人ばかりで、間には虫の息で水を水をと言う人さえいました。

純心女学校へ行って見ると跡形もなく原爆でメチャメチャにこわされ、

生き残った人に君江さんの班を尋ねますと、

三菱製鋼所に報国隊として招集されたと聞き、

製鋼所に見つけに行きましたが、工場もメチャメチャで全滅し、

原爆の炎で焼け、死体の姿も分らず、翌日見つけに行き、

誰の骨やらわからないのを少し貰って来て田舎に葬っております。

原爆のおそろしさに二度とこんな事が繰り返さないよう

世界の国と手をつなぎ仲良く平和の国でありますよう

心からお祈り致します。

昭和四十六年八月十四日

染田 レイ