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布を切って包帯に
林田アキノさん(諫早市鷲崎町)
私どもは、昭和20年8月10日午前8時頃、鷲崎町の町内会長よりご飯の炊き出しをするようにと言われましたので、女子青年団の支部長と一緒に、炊き出しをしていました。すると今度は、長崎より送られてくる怪我人が多いので、すぐに諫早国民学校に行くように言われ婦人会の皆さんと一緒に行きました。そこには、長崎からの怪我人が消防団の人たちの手でリヤカーで連れてこられ、その人たちは、顔も分からないほど焼けただれ着物もぼろぼろになっていました。私どもは、あまりにも悲惨な姿にただ、ぼう然としていました。その当時は、包帯が無かったので、家から持ってきた布を切り包帯の代わりに使い、怪我人の看護の手伝いや用便の世話をしておりました。「水を、水を」と言いながら死んで行く人もおりました。そこで、亡くなった方々の運び出しなど、消防団の人たちと一緒にやりました。