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フウリンで年取り(久山地区)
今回は、ジーヤンとバーヤンが、米がなくても楽しく年を越したという民話です。さて、どうやって、年を越したのでしょう。はじまり、はじまり…。
むかしね、あるところにジーヤンとバーヤンがいました。
毎日、田んぼや畑に出ては力をあわせていっしょうけんめい働いていましたが、暮らしはたいそう貧しく、毎日の食べ物も満足にありませんでした。粟や麦のご飯に漬物というのが普段のご飯でした。それでもにこにことして、不満なぞ言わず、たいそう仲のよい夫婦でした。
ある年の末のころ、その年は米も不作で、ジーヤンは「もう米のなかとの、餅もつかえじ、どがんしゅいろ(餅もつけないがどうしよう)」とこまっていました。バーヤンも「なんもなかとの、年ゃ越されんとの」とこまってしまいました。しばーらく考えていたジーヤンが「お寺からフウリンどま借りてきて年どま越そう」と言うと、お寺からフウリンを借りてきました。
年の晩になりました。和尚さんはコウズ(小僧さん)に「年の晩じゃっけん、もう年をとらせにゃでけんけん、フウリンな持ってこい」と言いつけます。コウズは、はいと言ってとりに行ったところ、そのフウリンを「まいっとき(もうしばらく)貸してくいろ、年の晩じゃっけん」と言って、ジーヤンは「一年に一度の年の晩、フウリンふってふい暮らせ」と唄いながら踊りだしました。コウズは「フウリンなやらしゃい、和尚さんのしからすけん(フウリンを返してください、和尚さんが叱ります)」と言うのですが、ジーヤンはかまわずに「一年に一度の年の晩、フウリンふってふい暮らせ」と踊るものですから、コウズもとうとうつられて、いっしょに踊りだしました。
それがとても楽しかったのでジーヤンとコウズとバーヤンでフウリンを振りながらずーっと踊っていました。
お寺では和尚さんが「コウズのいっちょん帰って来んとの」と待っていました。あんまり帰りが遅いので、もう仕方が無いと、ジーヤンの家へ行ってみました。
行ってみたところ、まあ、もう三人で座敷いっぱい踊ってまわっているではありませんか。それがまたなんとも、たいへん楽しそうで、ついつい和尚さんまでつられていっしょに踊りだしました。
ジーヤンが「一年に一度の年の晩、フウリンふってふい暮らせ」と唄うと、和尚さんも「ほんなこてコウズが来んとももっともじゃあ、フウリンふってふい暮らせ」と唄って踊りました。それでとうとうその年の大みそか、ジーヤンとバーヤンはフウリンで年を越したそうです。 そいばっか。
諫早史談会 川内 知子
絵:中路 英恵さん
※「そいばっか」は昔話のおしまいの決まり文句のひとつです。