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二日や一つ(赤崎地区)

ページ番号:0007886 更新日:2023年2月6日更新 印刷ページ表示

二日や一つ

今回は、諫早に伝わる「二日やーつ」という風習のお話です。はじまり、はじまり……

むかしね、若い孝行息子がいました。お母さんが病気で「もう暇乞い(お別れ)かもしれんけん娑婆と冥土(この世とあの世)の別れの水のほしかとの」と息子にたのみます。息子は「そんなら、見つけてもろて来っけん」と旅に出ました。それは八月二日の日でした。
ずーっと歩いていくと夜になり、宿にとめてもらうこととしました。そこには同じ年くらいの若者がいましたが親不孝者でした。宿のお母さんは「ほら、こげん親孝行で旅しよらす人のおらすとの、おまや親不孝ばっかいすっ」となげきます。するとその親不孝者の若者が「そいならおいもつんのうで(連れ立って)行こう」と言い出しました。そうして二人の若者は山を越え、野を越えて行きました。ところが、途中、宿の息子は腹がせきだして(痛くなって)、とうとう倒れてしまいました。孝行息子は困りましたが「帰りにはどがんなっとん(どうにか)してやらんば」と思い、草をかけておいて、ずーっと登って行きました。
わかれ道のとこへ来ると、真白い髭のおじいさんがいました。孝行息子はそのおじいさんに「お母さんの病気で、娑婆と冥土の別れ水のほしかて言わすけん、なんしても(どうしても)そん水のあっところを教えてください」とたずねたところ「そうか、そんならこけ、こいだけあっけん、持って行たて飲ますればよかけん」と小さなびんをわたしてくれました。
孝行息子はよろこんでお礼を言い、戻っていると、途中で倒れた若者がその水を欲しがって取ろうとしました。それでなんと、みーんなこぼしてしまいました。もう孝行息子は途方にくれて「こりゃもうせっかくもろた水の、どがんすればよかろかにゃ、なんにしてもまいっぺん(もう一度)、あすこに行たてすがってみゅう(頼んでみよう)」と思って、来た道を戻ります。そうしておじいさんにわけを話し「もうなかでしょか」とたずねると「もうなか、そいでん帰って行きおれば草の生えとって、その草ばかがって(刈りとって)いけば、お前の帰る時分には枯るっ。そいば手でもんでお母さんの痛かところにつけて、やーつ(灸)をすえてみろ」と言いました。
孝行息子はそれを聞くと、急いで草をかがって、持って帰ります。家に届いたのがちょうど二月二日でしたが、もうお母さんの死んでしまっていました。孝行息子はたいそう悲しんで、それでもようよう持ってきたからと、その草をもんでお母さんの背中につけて、やーつをしてやりました。そうしたところ、お母さんが生き返ったそうで「ほんにお前は孝行息子たいね」と喜んだそうです。
それからは二月二日と八月二日にやーつをすえると、丈夫になり長生きするということです。
そいばっか。

諫早史談会 川内 知子
絵:中路 英恵さん

※「そいばっか」は昔話のおしまいの決まり文句のひとつです。