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千々石清左衛門の墓(千々石ミゲル)

ページ番号:0030453 更新日:2026年9月28日更新 印刷ページ表示

千々石清左衛門の墓

よみがな

ちぢわせいざえもんのはか

指定区分

市指定史跡

指定年月日

令和6年12月14日

所在地

諫早市多良見町山川内字ケンノキ59

解 説 

  千々石清左衛門(千々石ミゲル)の墓は、地上にある墓碑に関する調査と墓碑の地下の発掘調査の成果により、被葬者が学術的に解明され、天正遣欧少年使節の1人、千々石ミゲルの墓として確定できる貴重な史跡である。

 墓碑には表面に埋葬された男女二人の戒名と寛永9年(1633年)という紀年銘、裏面左下に千々石玄蕃充の名が刻まれている。建立者とされる千々石玄蕃は、千々石ミゲルの子息(四男)であることから、表面にある戒名はその父母で、天正遣欧少年使節の1人、千々石ミゲルとその妻が埋葬された墓である可能性が2005年に指摘された。

 その後、2014年~2021年の間に4回の発掘調査が民間団体により実施され、以下のことが明らかにされた。

 ・現在、石碑の下にある方形石組基壇は明治期の構築物であること。

 ・当初、石碑が建てられた痕跡は現在の場所よりもやや西側にあること。

  ・二つの長方形の墓坑に成人の男女が一人ずつ埋葬されていること。

 ・女性は鍵がかかった長持ちを棺とし、キリシタン関連遺物と思われるガラス製の板・玉が副葬されていること。

 ・男性には副葬品は伴わないが、長方形の棺に利用された釘の他に、頭部に多数の釘が使用されていること。

 ・埋葬の上部には人頭台の礫が敷き詰められ、重厚な埋葬様式であること。

 上記の発掘調査と墓碑の調査により、石碑の地下に埋葬された人物と石碑に刻まれた戒名等の内容とが学術的に一致することから、埋葬された人物は天正遣欧少年使節の1人、千々石ミゲルであることが明らかにされた。

 天正遣欧少年使節の4人のうち、墓地が具体的に判明しているのは千々石ミゲル1人である。

 なお、男性の埋葬に伴う頭部に集中する釘については、複数の意見があり、いずれも千々石ミゲルのキリスト教に対する信仰を想定できることが指摘されている。

(江戸時代)

千々石ミゲルチラシ(表)

千々石ミゲルチラシ(裏)

 

【チラシ】千々石清左衛門の墓 (PDFファイル:44.06MB)

 

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