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天祐寺の木造如意輪観音坐像

ページ番号:0001377 更新日:2024年3月21日更新 印刷ページ表示

天祐寺の木造如意輪観音坐像の画像

よみがな

てんゆうじのもくぞうにょいりんかんのんざぞう

指定区分

県指定有形文化財

指定年月日

令和6年3月14日

 

 本像は頭上に高く垂髻(1)を結い上げ、六臂(ろっぴ:六本の腕をもつ)で右膝を 立てる坐像で、像の高さは53.5cmである。ヒノキとみられる針葉樹材を用いた 寄木造(2)で、目は玉眼(3)とする。像全体を赤黒く彩色し、着衣部 の一部には截金(4)模様が残っている。このような彩色は、白檀(びゃくだん)の一種で ある 赤栴檀(しゃくせんだん)を用いた檀像 (5)を意識したものである。 持物および指先や着衣部の一部は後補であるが、像本体は全体の表現や上げ底 式で像内を密閉する構造から、13世紀前半の慶派(6)の仏師の手になるものと考えられる優秀な作品である。

 鎌倉時代以降に、本像のような檀像風の截金が施された像が作られるようにな るが、本像はその中でも古い作例であり、この時代の彫刻を考えるうえでも重要 な鍵となる作品である。

 また、天祐寺には本像に先立って令和2年度に県指定有形文化財となった「天祐寺の木造四面(しめん)菩薩(ぼさつ)坐像(ざぞう)」(宝永2年〈1705年〉に造像)が所在するが、截金を 施した檀像風の仕上げや立膝の姿勢が共通することから、本像から影響を受けた可能性が指摘できる。中世以降、本像が地域で尊崇されていたことが推測され、このことは諫早市を中心とする県央地域での信仰の在り方や造像の様相を考えるうえでも重要な意義を持つ。

 鎌倉時代の優れた彫刻作品であることに加えて、中世以降の長崎県域について考える資料となり得る貴重な作品である。

 

【用語解説】(1)垂髻(すいけい):頭頂部で髪を束ねて、毛束を垂らした髪型。(2)寄木造(よせぎづくり):仏像などの頭部や体躯などの主要部を、二材以上の材を継ぎ合 わせて造る木彫の技法。(3)玉眼(ぎょくがん):眼の部分に穴をあけ、その内側から裏に瞳を描いた水晶板をあて る技法。(4)載金(きりかね):金箔や銀箔を焼き合わせて細い線状に切り、それを貼り付けて文 様を表現する技法。 (5)檀像(だんぞう):狭義には白檀によって造られた像。広義には白檀に代わって栢 はく 木 ぼく で造られた像。日本では奈良時代以降に榧 かや の木で造像されるようになった。(6)慶派(けいは):平安時代後期から江戸時代にかけて活躍した仏師の一派。鎌倉時 代には運慶・快慶が知られる。(鎌倉時代)