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飛鳥・奈良・平安時代

ページ番号:0001371 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

大化の改新(645年)により国家のしくみは大きく変わり、天皇を中心とした政府が全国の土地と人民を直接支配することとなりました(公地公民制)。最大の事業は班田制の実施で、口分田の支給と租税徴収を容易にするために土地を碁盤目状に区画する条里制が行われ、その痕跡が、田井原条里遺跡(仲沖町・幸町)、小野条里遺跡(宗方・長野・川内町)、田結条里(飯盛町)などに残っています。奈良時代になり、律令政府は、中央と地方の連絡を緊密にするため、早馬を走らせる駅路とその乗り継ぎ機関である 駅家を整備しました。『延喜式』によると、長崎県内には新分(彼杵郡)・船越・山田・野鳥(高来郡)の4駅があり、「船越」は船越町にあったと想定されています。

田井原条理遺跡の出土品
田井原条里遺跡の出土品