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江戸時代の眼鏡橋

ページ番号:0001354 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

諫早眼鏡橋
江戸時代の絵図を紹介します。

二連アーチの石橋で、欄干なども詳しく表現されています。 安政年間(1854~1860)に描かれた絵図です。
二連アーチの石橋で、欄干なども詳しく表現されています。
天保10年~嘉永4年(1839~1851)に描かれた絵図です。 諫早城下図 諫早家文書30002

180年前の絵図
二連アーチ橋の石橋で、欄干なども詳しく表現されています。 嘉永4年(1851)以降の絵図です。 諫早城下図(壱町弐寸御役方指出写)諫早家文書30003

眼鏡橋に工事の安全祈願や永久不壊の祈りをこめ、石工達により絵が刻まれています。≪杯とひょうたん≫の画像
眼鏡橋に工事の安全祈願や永久不壊の祈りをこめ、石工達により絵が刻まれています。≪杯とひょうたん≫

180年前の石工による工夫を見ることができます。
眼鏡橋を築造した石工による工夫を見ることができます。

石材どうしを鉄の棒(千切鉄、チキリや太柄鉄、ダボ)によって接合していました。
石材どうしを鉄の棒、千切チキリ(千切)鉄やダボ(太柄)鉄によって接合していました。 写真は、ダボ鉄です。

石材どうしを鉄の棒、チキリ(千切)鉄やダボ(太柄)鉄によって接合していました。の画像
石材どうしを鉄の棒、チキリ(千切)鉄やダボ(太柄)鉄によって接合していました。写真は、チキリ鉄です。