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B 明治~大正
63 明治期になって馬車等の通行時、眼鏡橋の段差が不便であるため段差に板を敷き通行する意見があった。
64 眼鏡橋の段差について改良の意見があったが、下流に段差がない新しい橋を架けることとなった。
65 下流に橋を架ける架設願書を北高来郡長から県へ提出したという記録がある。
66 写真家上野彦馬が明治19年に撮影した眼鏡橋の写真がある。
67 明治から大正の俳人 荒川一々の句に「春風や、新町おこし、眼鏡橋」がある。
68 本明川の水害の歴史(明治から平成時代の主な水害年表)(PDFファイル:158KB)