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c 移設工事
79 当時の市長 野村儀平が橋の保存に奔走し、移築保存されることが決まった。
80 眼鏡橋は、昭和33年12月に諫早公園へ移転復元することが決定した。
81 眼鏡橋をダイナマイトで爆破させる計画があった。
82 移設の時の図面は、和紙に筆で描かれている。
83 移築復元にあたり、すべての石の大きさを実測した。
84 昭和32年の水害後、本明川が約20m拡幅されることとなり、諫早公園内に移設された。
85 眼鏡橋の移設工事の解体工事は昭和34年2月から始まった。
86 眼鏡橋の解体は、約2か月かかって約2800個の石すべてを運び出した。
87 移設のために眼鏡橋を解体したら中からお金が出てきた。
88 橋の復元工事は、大成建設が実施した。
89 橋の復元の際、水害で流出した石に代わる新しい石には、他の石と同調させるため、ヨモギ、松葉、肥料、尿素、墨汁の混合液が吹き付けられた。
90 移築復元は、石を切ったり削ったりせず、使われていた石をほぼまま使い、昔の工法で元の寸法どおり仕上げるという難事業だった。
91 水害後解体された石は、諫早公園広場と諫早高校のテニスコートに仮置きされた。
92 移築復元は、昭和35年12月に工事に着手し、翌36年9月に完了した。
93 現存する石造りアーチ橋の解体によって基礎工事から内部構造に至るまで学術上の詳細な資料がはじめて得られた。