本文
b 架橋経過
6 令和元年(2019)で、本明川に眼鏡橋が架けられてから180年になる。
7 佐賀藩より諫早領に上使の下向と公領巡検使の来訪が伝えられ、本明川に橋がないことは諫早領の面目に関わるとして橋を架けることとなった。
8 眼鏡橋が架けられたのは、諫早家第12代領主茂洪公の時だった。
9 長崎街道(多良海道)と島原街道の接点(交通の要衝)に架けられた石橋である。
10 眼鏡橋は、長崎街道(多良海道)から諫早城下町に入る玄関口に架けられた石橋であった。
11 眼鏡橋は江戸時代、領主の屋敷の表玄関にあった。
12 眼鏡橋を架橋する際、永久に壊れない橋を造るために九州各地の橋を調査した。
13 眼鏡橋は1839年(天保10年)に完成し、8月12日に渡り初め式をした。
14 渡り初めは、領主の側用人だった片田江金左衛門が行った。