本文
十六善神社の一の鳥居と二の鳥居
よみがな
じゅうろくぜんじんじゃのいちのとりいとにのとりい
指定区分
市指定有形文化財
指定年月日
平成10年7月3日
所在地
諫早市多良見町西園627-2
交通
県営バス「東園」徒歩3分
この神社はもと元釜名浮津にあり、浮津大明神といわれていました。
延宝3(1675)年に痘瘡(天然痘)が流行した時、お告げにより現在地に遷したところ、痘瘡の流行が止んだといわれています。そのため、十六善神社は痘瘡の神様としてひろく崇敬され、遠来の参詣者もありました。天保14(1843)年、諫早領主の若君勇太郎が痘瘡にかかった時には、喜々津村の村役も十六善神社に参籠するようお達しがあっています。十六善神社は、旧大草村の村社として村民の信仰の中心でした。昭和40年頃まで神職が居住していました。
一の鳥居は安永5(1776)年の建立で、高井良□□、その他数名の氏名が刻んであります。
二の鳥居右柱には、「當村領主、三村□□□門」と刻まれています。諫早一揆の中心人物であった諫早家老三村惣左衛門の寄進と思われます。