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岩宗墓石群

ページ番号:0001274 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

岩宗墓石群を斜め前から写している写真

よみがな

いわむねぼせきぐん

指定区分

市指定史跡

指定年月日

昭和52年9月26日

所在地

諫早市小長井町遠竹

交通

広域農道沿い(岩宗大橋近く)

遠竹の氏神、諏訪神社の少し手前の高台に通称「殿の屋敷」と呼ばれている所が、鶴田遠江守の菩提寺金胎寺跡です。その広場の西側の一段高い所に宝篋印塔、五輪塔数十基が祭祀されています。ほとんどが安山岩製の石塔です。岩宗墓石群は、南平墓石群と比べ時期的に新しい石塔が多く見られます。
一番大きい宝篋印塔が鶴田遠江守の墓石と伝えられています。総高138.4cm、銘文は基礎中央に3列(奉寄進石塔一墓、山□宗年、旹天正拾年壬午七月□日)塔身には算木紋が入っています。
天正10(1582)年7月16日、遠江守は、竹崎城主北島藤左右門に攻められ必死の防戦も及ばず一族みな討死しました。地元ではこの日を遠江守の命日とし7月16日(現在は8月16日)には墓前において浮立を奉納し、子供たちによる粟踏浮立も奉納されます。