本文
南平墓石群
よみがな
みなみびらぼせきぐん
指定区分
市指定史跡
指定年月日
昭和52年9月26日
所在地
諫早市小長井町遠竹
交通
広域農道沿い(権現岳南側)
鶴田遠江守の居城があった権現岳の南側丘陵(南平部落の裏山)に宝篋印塔、五輪塔が数十基祀られています。数百年の歳月を経て祭祀も絶え放置状態であったものを、昭和50年頃地元の人たちの手によって、集めて祭祀されたため、完全な形に組み合わされる塔は数基です。山中には墓域と思われる所が数箇所見つかっています。地元ではこの墓石群も鶴田遠江守の一族の墓であろうと伝えています。しかし、至徳2(1385)年の紀年をもつ宝篋印塔があり、遠江守の討死は天正10(1582)年と伝えられます。このため、これらの石塔は遠岳氏のものと推測され、天正5(1577)年文献史料にみえる遠岳治部少輔尭運の祖と推定されます。さらに遠岳氏の逝去に伴う遠岳一門による供養塔と考えられます。石材は安山岩製が多く、凝灰岩製のものもあります。
南平墓石群の宝篋印塔(至徳年間紀年銘)
南平墓石群
至徳年銘宝篋印塔実測図(※)
岩宗墓石群宝篋印塔
※諫早史談第19号「小長井町遠竹名 古石塔の考察」稲田三千年 昭和62年より