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久山の磨崖仏三十三観音

ページ番号:0001265 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

彫刻されている久山の磨崖仏三十三観音が二体写っている写真

よみがな

くやまのまがいぶつさんじゅうさんかんのん

指定区分

市指定有形民俗文化財

指定年月日

昭和59年7月26日

所在地

諫早市久山町1159-1

交通

県営バス「茶屋入口」徒歩20分
駐車場無

南面する第三紀砂岩に彫刻されています。光背形にえぐり込み、像容を陽刻する手法は慶巌寺例に同じです。しかし、仕上げは若干稚拙です。
在銘は多く認められ、次の通りです。

3番 当村 喜八
4番 当村 □□ 久松 庄助
7番 富三 仁佐
10番 中島 迅兵衛尉高寛
11番 喜々津 勇吉
12番 多兵エ 多蔵 政吉 伝蔵
17番 当村 岩助
25番 正助 久松 文蔵
26番 田次 仙次 庄三 下に施主カ
28番 村山 丈之進敏雅カ
31番 南条 吉右エ門 同兵左エ門

銘文によれば、文政11(1828)年に施主多数で奉祭したことがうかがえます。なお、『座居帳』中に数人の名前が認められますが、この中「平侍扶持米 三石六斗 同人与(早田三左エ門与)村山丈之進」という記載があり、同一人物あるいは家督相続した人物と推測されます。その他の人物については今後の課題です。
なお、石工三次良は、山口露山著『久山郷土史』によれば「(前略)坂本米助の伯父(山口治右エ門の父)山口三次良が文政11年34歳の時、信仰の為め彫刻したるもの。(後略)」と載せています。
西国三十三カ所観音の推移については既述(「慶巌寺の磨崖仏三十三観音」の項参照)しておりますが、本例で注目されるのは、巡礼の世話方が施主として記銘されていることです。村内十数名の巡礼の折は、その世話方を決めて行う風習を表しているものと考えられ、観音信仰が広く行きわたったことを示唆しています。
また、巡礼が一つのレジャー的な要素をも加味していたことは、その人数をして知らしめていると言えます。

下方向から彫刻されている久山の磨崖仏三十三観音を写している写真
久山の磨崖仏三十三観音が彫刻されている岩を写している写真
久山の磨崖仏三十三観音が彫刻されている岩を離れたところから写している写真