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愛宕社宝殿と三重塔

ページ番号:0001257 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

愛宕社宝殿の写真

三重塔の全体を写した写真

よみがな

あたごしゃほうでんとさんじゅうのとう

指定区分

市指定有形文化財

指定年月日

昭和60年1月31日

所在地

諫早市宇都町240-1(上山公園内)

交通

県営バス「福祉会館前」 徒歩2分
上山公園駐車場

愛宕社は、永禄6(1563)年、西郷弾正少弼によって奉祀されたのが始まりといわれます。
『諫早日記』元文元(1736)年の記事には、山城国(京都府)の愛宕大権現を遷宮したことを記す棟札があったことを載せており、またその目的は、「一家一門群兵武運長久求顕円満子孫長久」であったと記されています。愛宕信仰は、中世期には武の神として、また近世期には鎮火・防火の神として広く信仰されました。
この宝殿が石造りとなったのは、享和元(1801)年のことで、以前は木造りであったと思われます。
三重塔は、「仁王経千部読誦并一部一字一石塔」で、享保16(1731)年に建立されました。導師は平仙寺第十世法印運盛で、施主は百武与次兵衛昌芳です。
仁王経は護国の経典として尊重され国家安泰・五穀豊穣を祈念して建立されたと思われます。なお、再建に先立って基壇部の調査をした結果、経文を墨書した多数の川原石(一字一石経という)と、三重塔建立前段の祭祀(地神鎮か)に使われたと思われる小皿2枚と銭貨12枚(下写真)が出土しました。

三重塔基壇出土品の川原石と小皿2枚と銭貨12枚を並べて撮っている写真
三重塔基壇出土品