本文
土橋貞恵墓地
よみがな
つちはしていけいぼち
指定区分
市指定史跡
指定年月日
平成14年4月3日
所在地
諫早市森山町杉谷2454
交通
県営バス「森山東小学校前」
土橋貞恵翁は、安永5(1776)年、長田に生まれ、幼名を多助と呼び、「多助ぼっさん」の名で親しまれた郷土の先覚者です。
文化2(1805)年、森山杉谷に「永春」の医名で開業しました。自らの生活は常に質素にし、貧しい人びとを救い、「医は仁術なり」を地で行く 慈善徳行の人でした。医療で得た財は、石橋を築造、道路の改修、溜め池の築造等の社会資本の充実にすべてを還元しました。その後、これまでの善行に対し、諫早領主により「貞恵」の称号が授けられました。
自ら設計施工したという墓所は、三段になった上段が仏の尊像、中段が土橋家の先祖高柳家の祖と師匠の墓、下段が土橋家の家族の墓となっています。墓所には鳥獣の飲み水のために水瓶を埋め込み、鳥獣が溺れないよう瓶の底に小石などを入れて水瓶の水位を浅くするなど、慈悲慈愛の精神は鳥獣まで広く及んでいます。