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慶師野の将棋墓

ページ番号:0001240 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

慶師野の将棋墓と言われる将棋の形をしているお墓の写真

よみがな

けいしののしょうぎばか

指定区分

市指定有形文化財

指定年月日

平成14年4月3日

所在地

諫早市森山町慶師野

交通

県営バス「森山図書館前」徒歩15分

江戸時代後期に「川柳の師」と仰がれた中山五平のお墓です。五平の川柳の弟子にあたる柳宝庵董来によって、天保3(1832)年9月11日に建立されました。墓石の裏面には、「年八拾七歳にして佛国(あの世)に満入せり、俗名搗餅(とうへい)とて、茲に筆を立て一句を手向く」と記し、続いて「吹移す風やこめて立つ山家」と董来の一句がしたためてあります。
生前の五平はよほどの将棋好きであったと思われ、他に類を見ない珍しい形の墓石です。