~戦争のない未来へ 子どもたちへの伝言~
長崎に原爆が投下され、第2次世界大戦の終戦から75年を迎えました。日本では、この間、平和だといえる毎日が続いています。
一方、世界に目を向けると、各地で紛争やテロが絶えることはなく、罪のない小さな子どもたちまでもが犠牲になるような悲劇が繰り返されています。また、地球上には、長崎に落とされた原爆より何倍も威力のある核兵器が、未だ約1万5千発あるといわれています。
諫早市は、平成17年9月に、「平和都市諫早宣言」を行い、非核都市であることを宣言しました。被爆県長崎の一員として、戦争や核兵器のない平和な世界の実現に向けて取り組むことが、私たちの責務であると考えています。
市内には、戦地へ出兵された方や、長崎で被爆された方、救援列車で運ばれてきた被爆者を救護された方など、多くの体験者がいらっしゃいます。しかし、体験者の高齢化が進み、市民にも戦争を知らない世代が増え、悲惨な体験は風化していくことが懸念されます。
平和な世界の実現のためには、まず、私たち自身が、戦争や核兵器がいかに恐ろしいものであるかを認識することが必要です。そのためには、戦争や原爆の悲惨な体験を次の世代に継承しなければなりません。
市では、被爆者の講話会などを開催するとともに、市民から体験談を収集し、「戦争のない未来へ ~子どもたちへの伝言~」と題して、ホームページで公開するとともに、冊子にまとめ、市内図書館・図書室にて貸し出しを行っており、PDF版も下記に掲載しております。
今後も、平和な世界の実現のために、戦争や原爆の悲惨な体験を風化させないよう努めていきます。
戦争体験
- 中島重雄さん(諫早市西栄田町) 戦火をくぐりぬけて
- 中村友三郎さん(諫早市天神町) シベリア抑留を生きのびて
- 犬尾博治さん(諫早市泉町) 坂本中尉機とボーイングB29-諫早ロータリークラブ卓話(昭和60年7月26日)より-
- 寺井和恵さん(諫早市原口町) 私の戦時中の思い出
- 西村カズ子さん(諫早市立石町) 私の戦時の生活と体験
- 中山英記さん(諫早市仲沖町) 私は中学3年生で兵隊になった
- 永島美惠子さん(諫早市白岩町) 旧満州からの引揚げ体験
- 森春義さん(諫早市小長井町) 小長井港沖米軍機B29引き揚げ
- 橋本三四郎さん(諫早市高来町) ビルマでの戦争体験
- 川良政好さん(諫早市小野町) 学徒動員の想い出-長崎県立諫早高等学校創立百周年記念誌 御書院より-
- 本田勇豪さん(諫早市船越町) 先の大戦から戦後70年の戦い
- 荒木登志男さん(諫早市高来町) 孫に教えたい私の戦争体験
- 北島米和さん(諫早市高来町) 引揚げ当時の思い出
- 髙以来眞須美さん(諫早市栗面町) 戦後の平壌(ピョンヤン)にて
- 大迫國雄さん(諫早市土師野尾町)私の戦争体験
- 大塚梓さん(諫早市) 戦地から家族への手紙
- 梅林ミツヨさん(諫早市) 太平洋戦争体験記(戦後七十六年)
- 向井安雄さん(諫早市) 地獄の初年兵体験記
被爆体験
- 山口悦夫さん(長崎市) 終戦前後
- 橋本利一さん(諫早市高来町) 私の被爆体験
- 竹下民輔さん(諫早市馬渡町) 戦争を知らない君たちへ(子ども向け)
- 小林壽美さん(諫早市高来町) 私の被爆体験
- 吉野ツギノさん(諫早市高来町) 私の被爆体験
- 丸内進さん(諫早市真崎町) 私の原子爆弾被爆体験記
- 江嶋ミスヱさん(諫早市栄田町) 学徒動員中の被爆体験
- 吉川湞子さん(諫早市小長井町) 原爆が落ちた日
- 古賀力さん(諫早市本野町) 青天の霹靂
- 田代一弘さん(諫早市多良見町) 早弁で助かった命
- 今白卓司さん(諫早市高来町) 『原子野を懸けて66年の想い』-平成23年12月3日宮城県仙台市宮城野高等学校土曜ゼミナールでの講話より-
- 尾﨑正義さん(諫早市白岩町) 閃光を浴びた日
- 原田シズヨさん(諫早市小長井町) 車掌としての被爆体験
- 桐山久子さん(諫早市幸町) 原爆記
- 千葉憲哉さん(諫早市貝津町) 家族の思い出
- 江川正次さん(諫早市) 私が体験したこと
- 染田レイさん(長崎市) 姪を探した三日間のできごと
- 中村セツ子さん(諫早市) 私の被爆体験
- 井石昭子さん(諫早市) 父・小泉政利、母・小林クニヨの被爆体験を語る~語り継ぐ家族の被爆体験(家族証言)~
被爆者の救護活動
- 中道義若さん(諫早市本明町) 十五の夏
- 馬場守久さん(諫早市森山町) 戦争と原爆についての体験
- 山口正則さん(諫早市川床町) 私の被爆体験
- 馬場すづ子さん(諫早市小川町) 被爆者救護にあたり
- 山口忠喜さん(諫早市天満町) 爆心地から25㎞離れた諫早で目撃した「生き地獄」の忘れえぬ記憶
- 氏原和雄さん(諫早市高来町) 私の被爆体験(救護活動)
- 西田アヤ子さん(諫早市高来町) 被爆者救護の体験
- 田島利雄さん(諫早市) 救護・運搬に従事したときの状況
この記録は、昭和58年に諫早市が発行した冊子「諫早市原爆被爆者救護活動の記録」に掲載している救護体験者の手記で、諫早市における被爆者の救護活動の実態が記されています。
ここに掲載する記録は冊子に手記を寄稿されている方若しくはその親族の方にホームページへの掲載の了承を得ることができた一部のものです。
諫早市原爆被爆者救護活動の記録
- 野中チトヨさん(諫早市船越町) 原爆の日によせて
- 林田アキノさん(諫早市鷲崎町) 布を切って包帯に
- 原シメさん(諫早市幸町) 被爆救護の思い出
- 橋本英子さん(諫早市永昌町) 夢遊病者のように!
- 川原由基子さん(諫早市東小路町) 水は与えられない
- 池邊翠さん(諫早市八天町) 被爆者を肩に支えて
- 立山光重さん(諫早市幸町) コトボシを持って
- 西村ミツエさん(諫早市小野島町) 一人の女子青年団の記録
- 真崎マサエさん(諫早市黒崎町) 母の代わりに救護町へ
- 山本チミさん(諫早市幸町) 精米機が止まって
- 園田松枝さん(諫早市立石町) 町内会の指示に従い
- 上松タツエさん(諫早市永昌町) 脳裏に焼きつく3日間!
- 音なぎ信行さん(諫早市本野町) 火葬
- 東川ミサノさん(諫早市本明町) 500人位の被爆者を

