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おうちミュージアム(やきものギャラリー)

ページ番号:0002093 更新日:2023年2月1日更新 印刷ページ表示

おうちミュージアムのロゴ

諫早市美術・歴史館の収蔵資料を代表する「肥前長崎の焼物」(諫早市指定文化財)は、本市出身の古陶磁研究家植村富士男氏(故人)が半生をかけて蒐集されたもので、現川(うつつがわ)焼、亀山(かめやま)焼、長与(ながよ)焼、鵬ヶ崎(ぼうがざき)焼、土師野尾(はじのお)焼の計238点からなる長崎南部の焼物群です。
各やきものの概要説明のあとに、常設展示室に展示中の資料をご紹介します。

現川焼

佐賀藩有田に駐在していた諫早家焼物被官田中刑部左衛門が家督を長男に譲り、佐賀藩諫早領矢上(現在は長崎市現川町)で元禄4(1691)年に開窯、操業期間は短く、『日新記』によれば寛延2(1749)年頃に閉窯したと見られます。
縮緬(ちりめん)刷毛・吹き刷毛・打ち刷毛など各種の刷毛目文様に、四季折々の画題を取り入れ、器形も斬新で鮑(あわび)型・舟型・隅切段切などの形状があります。

亀山焼

長崎伊良林(いらばやし)で大神甚五平らにより文化4(1807)に開窯、はじめはオランダ船の注文で水甕や徳利などが作られました。文化11(1814)年から白磁染付の製品を作るようになりましたが、慶応元(1865)年に閉窯されました。
特徴は優れた絵付で、長崎に集まる画家や文人墨客などが絵付をしています。また、西欧方面への輸出を企図していたため、使用された材料が上質で、精緻で焼上がりの美しい製品も少なくありません。

長与焼

旧大村藩(現在の西彼杵郡長与町)で焼かれた窯で、『大村郷村記』によれば、浅井角左右衛門らによって寛文7(1667)年に開窯、一時中断後、正徳2(1712)年に再興し、文政3(1820)年に閉窯するまで操業しました。その後、弘化2(1845)年に渡辺作兵衛により再々興され、『大村郷村記』などによれば、安政6(1859)年までは操業していたことが分かっています。
長与焼を全国的に有名にしているのは「長与三彩」で、滑らかに融けた釉薬や鮮やかな色調は、当時にあってはきわめて珍しく貴重な焼物であったと考えられます。

鵬ヶ崎焼

蒲池子明(かまちしめい)により文政6(1823)年に長崎の稲佐山麓で開窯され、嘉永5(1852)年に窯を閉じました。きめの細かい鉄を含んだ粘土を使用した焼き締まった陶器で、焼き上がりの色はグレーや赤褐色のものが多く、白象嵌(ぞうがん)や色釉の盛上げに特徴があります。

土師野尾焼

諫早市土師野尾町の八天岳山麓で焼かれていたもので、昭和2(1927)年に発見されました。
龍造寺(りゅうぞうじ)家晴(いえはる)が朝鮮半島出兵の際に連れ帰った陶工道珍(どうちん)による開窯とされていましたが、昭和59(1984)年の発掘調査で、開窯の時期はそれ以前の西郷氏の時代(16世紀中頃)までさかのぼることが確認され、唐津系陶器窯の中でも最古期に位置することが判明しました。現存する資料が少なく、伝世品は大変貴重です。

やきものギャラリー

現在、常設展示室に展示中の資料をご紹介します。(令和3年9月28日展示替)

現川焼

三彩蓋付碗の写真

三彩蓋付碗(さんさいふたつきわん)
口径11.2cm/高台径4.3cm/高さ6.4cm/蓋付総高7.5cm

「現川三彩」と呼ばれる製品の一つです。身とふたの内面には黄釉をほどこし、外面には黄・緑・紫などの三彩釉を迷彩式に配色しています。
製作は元禄4年~寛延2年頃(1691-1749)です。
参考図書:『長崎の陶磁』(1988 九州陶磁文化館)『土と炎の里 長崎のやきもの』(下川達彌 2001)

現川焼

打刷毛目輪花向付の写真
打刷毛目輪花向付(うちはけめりんかむこうづけ)
口径7.9cm/高台径3.6cm/高さ4.8cm

朝顔形に開いて成形した向付(むこうづけ)※で、口縁をこねて輪花とし、器の内外にちりめん状の刷毛目をくまなくほどこしています。きわめて薄手にろくろ挽きされているほか、刷毛目が薄く打たれているため、文様は淡く緑がかった灰色になっています。
製作は元禄4年~寛延2年頃(1691-1749)です。
[※向付とは小型の鉢や深皿の総称です。通常、刺身を盛る器として使用されます。]
参考図書:『現川・長与・亀山展 つかさコレクションによる長崎の陶磁』(1993 福岡市美術館)

現川焼

刷毛地藤蝶文皿の写真
刷毛地藤蝶文皿(はけぢふじちょうもんざら)
口径18.1cm/高台径10.2cm/高さ4.8cm

左上方に藤の花房を表し、反対側の片隅に蝶を配した皿です。渦状の刷毛目を地の文様とし、余白を大きく取って描かれた藤蝶文は夢幻的な絵画を思わせます。刷毛目は表裏ともに左まわりのろくろ回転でほどこしています。このような図柄は現川には多く、本器は現川の代表的な製品のうちの一つです。製作は元禄4年~寛延2年頃(1691-1749)です。
参考図書:『現川・長与・亀山展 つかさコレクションによる長崎の陶磁』(1993福岡市美術館)

現川焼

刷毛地色絵木葉文輪花鉢の写真
刷毛地色絵木葉文輪花鉢(はけぢいろえこのはもんりんかばち)
口径20.5cm/高台径10.3cm/高さ3.9cm

刷毛目を地の文様として二枚の木の葉を縁に片寄せ、大きく表した鉢です。
刷毛目文様は同心円状であるため、木の年輪模様を暗示しているように見えます。また木の葉の表現は一葉を裏から見て、他の一葉を中ほどで折れ曲がった表し方をしていて、簡潔な描写ながら立体感と対象の質感をよくとらえた図柄となっています。製作は元禄4年~寛延2年頃(1691-1749)です。
参考図書:『現川・長与・亀山展 つかさコレクションによる長崎の陶磁』(1993福岡市美術館)

現川焼

現川焼の写真1現川焼の写真2
刷毛地紫陽花文鉢(蛍手)(はけぢあじさいもんはち(ほたるで))
口径14.7cm/高台径6.5cm/高さ4.2cm

裏面に円文を配した蛍手(ほたるで)※と呼ばれるタイプの鉢です。見込みには紫陽花(あじさい)の一枝を口縁の片方に寄せて表しています。器形は見込みに丸みをもたせて深く作り、口縁を水平にひねり返してつば縁にしています。また、見込みの刷毛目は左回りのろくろ回転によりほどこしています。
製作は元禄4年~寛延2年頃(1691-1749)です。
[※蛍手とは現川に特有の技法で、器の背面に丸く白土を点じた後、中心を竹筒のようなもので吹いて薄くし、ぼかしをかけたような効果を出すものです。(写真右)]
参考図書:『現川・長与・亀山展 つかさコレクションによる長崎の陶磁』(1993福岡市美術館)

現川焼

現川焼の写真3
吹刷毛地野菊蝶文隅切四方皿(ふきはけぢのぎくちょうもんすみきりよほうざら)
縦径16.0cm/横径16.0cm/高台径8.5cm/高さ4.3cm

息で吹いた吹刷毛目の白地を背景に、呉須(ごす)※で野菊と蝶を描いた角皿です。白い刷毛目の上に描かれた野菊と蝶の青く淡い姿により、幻想的な世界が表されています。また、背面は高台脇の両側に、息で吹いた吹刷毛目の雲形を表しています(写真右下)。製作は元禄4年~寛延2年頃(1691-1749)です。
[※呉須とは江戸時代初期に中国より伝わったとされる、染付などの磁器に使用される青色の顔料です。]

参考図書:『現川・長与・亀山展 つかさコレクションによる長崎の陶磁』(1993福岡市美術館)