音なぎ信行さん(諫早市本野町)

昭和20年8月9日、その日は目代青山組合の麦の供出日でした。突然、長崎上空でぴかりと大きな光が出たかと思うと、間もなく近くに爆弾でも落ちたような音がしました。みんなびっくりして早く仕事を済まし家へ帰りました。
8月10日は、近所の人達と話し合いながら農作業にも手がつかずにおりました。午後、当時小山の警防団の役員をしておられた野口郡平氏より連絡があり、8月11日午前8時に諫早市営火葬場へ長崎の被爆者の死体が運ばれて来るので死体火葬のため出動するよう連絡がありました。
8月11日午前8時、市営火葬場へ各人が、前打、ツルハシ等の道具を持って集合いたしました。宮田源一郎、松下幸四郎、山口数義、古賀正信、古川好春、野口重夫さんたち他数名の団員で、仮火葬の穴を話し合いながら数個掘りました。昼食は婦人会の炊き出しのおにぎりをもらって食べました。
午後より人員の手分けをして、古材運び、死体火葬等、死体はどんどん運ばれて来ますが、火葬はなかなかはかどらず大変困りました。夕方7時頃までで作業を切り上げ帰りましたが翌日も出動するよう指示がありました。
8月12日、昨日に引続き午前8時火葬場に集合し、昨日の団員他、本明分団員が数名加わり、団役員の古賀三四郎さん他8名位で薪の運搬や、学校病院等から亡くなられた人の火葬に当たりました。また死体はどんどん運ばれて来る。時間が経つにつれ腐乱は酷くなり、臭いは鼻をつく等、古材に乗せるにも汗は手や足にも附着して大変困りました。その日も数十体火葬し、夕方7時頃仕事を終わり、翌日も出動するよう指示があり家へ帰りました。
8月13日、昨日同様8時集合、先日の残りの死体はますます傷みが酷く、火葬場の庭上り釜まで運ぶのにムシロを敷き、4人程で運びました。とても現場で仕事をしてみない人には想像もつかないことです。現場で毎日昼食を食べろと言われてもあまり食べられませんでした。その日も50体位火葬したでしょう、当日も無事仕事を終わり、翌日より他の分団と交替でした。午後8時頃引きあげ、家路につきました。
3日間の作業で、団服は汗と臭いでとても大変でした。川に一週間位浸し、洗濯して、昼となく夜となく数日間干して、臭いを取りました。

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〒854-8601 長崎県諫早市東小路町7-1(本庁 ・本館6階)
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