橋本英子さん(諫早市永昌町)

原爆の思い出は、36年も前のことですからはっきり覚えていることは少なくなりました。当時、私の家は高城町の諫高の手前にありました。そろそろ昼食をしようとしている時に「ピカッ」と異様な光りがして「ドーン」となったので何事かと外に出て見ました。近所の人たちも不安そうに空を眺めていました。まもなく西の空の彼方から、黒い煙がむくむくと上ってきました。きっと爆弾が落とされて大火事になっているのではと、恐怖の念にかられました。その後、日時ははっきりしませんが、長崎の原爆で負傷した人たちが諫小の講堂に運ばれてきました。私ども婦人会員に、手伝いに行くように命令が出ましたので、全員講堂に行きました。患者たちは全身焼けただれて、哀れな状態で寝かされておられました。あちこちから「水、水」と叫ばれるのです。私どもはお湯を飲ませて回りました。食事時にはおむすびを配りました。所々に新聞紙を被った人がいましたので何気なく取(と)ってみると既に死んでいる人たちでした。また、気が狂った人もいて、外を夢遊病者のように丸裸で歩いておられました。被爆者の方たちは一刻も早く手当をしなければならない人たちばかりでしたが、医者や看護婦も廻り出さない状態でした。私どもはハラハラするばかりで気の毒に耐えませんでした。患者たちの苦しみは如何ばかりだったかと、胸の痛くなる思いでした。

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