富川万年の森
諫早市の中心市街地から北におよそ12キロ、多良岳山系の奥深く、本明川の一支流に富川渓谷はあります。富川一帯の森林は「万年の森」と呼ばれ、史跡巡りや夏の避暑地として古くから市内外の人々に「諫早の奥座敷」として親しまれてきました。
渓谷の岩肌には、元禄時代の大洪水・大干害の後に、死者の供養と領内の泰平のために刻まれた県指定史跡の五百羅漢があり、諫早の水害との戦いの歴史に触れることができます。
また、バンガローなどの宿泊施設も整っており、夏になるとたくさんの人たちが涼を求めてこの森にやってきます。森の空気は新鮮で心地よく、川の流れはひ んやりと澄んでいて、しばし夏の暑さを忘れさせてくれるでしょう。

大雄寺の五百羅漢
元禄12年(1699)8月13日、本明川の大洪水により諫早領は死者487名、稲3930石の減収(1石は大人一人が一年に食べる米の量に相当)という大きな被害を受けました。当時の人口規模からすれば、昭和32年の諫早大水害に匹敵する大惨事だったと考えられています。さらに翌年、追い打ちのように大干害にも見舞われ、2年続きの災害によって飢えに苦しむ人が多く出たそうです。
これに心を痛めた諫早家第七代領主・諫早茂晴公は、災害による犠牲者の冥福と、領内の永代に渡る安泰を祈願し、ここ水源の地・富川 渓谷の岩壁に五百羅漢(※1、2)を刻むことといたしました。そして、長崎・大村・島原など各地からの寄進を受け、元禄14年(1701)に制作にとりかかり、宝永6年(1709)に完成しました。
下絵は神代村常春寺の僧志元が、彫刻は矢上村の石工鎌山甚兵衛と、田結村の石工森与四衛門等によって行われました。柔らかなタッチで描かれた羅漢たちは実に人間味豊かで、衣の繕いや耳かきをしている者など、生き生きとした姿が刻まれています。磨崖仏(※3)としては、県内で最大のものであり、諫早の水害史を物語る資料としても大変貴重なものです。
平成19年の調査では、如来像と羅漢像とあわせて510体の像が確認されています。渓谷の岩壁という場所であるにもかかわらず、約300年の時を経てもなお欠け落ちることなく、これだけの数の像が現存していることから、当時の石工技術の高さを伺うことができます。郷土の平穏を願った人たちの祈りが、朽ちることなく今もなお諫早を包んでいる、といえるのではないでしょうか。

※1
羅漢とは阿羅漢の略で、仏道において悟りを得て、人々から尊敬を受けるにふさわしい聖人のことです。
※2
五百羅漢とは、お釈迦様の入滅後にその教えが間違って世に広まらないように、仏典編集のために集まった500人の弟子を尊崇した呼び名です。
※3
磨崖仏とは、自然の岩壁や岩壁を箱状に彫った内側に刻まれた仏像のことです。

バンガロー
富川渓谷にはバンガローが3棟整備されています。1棟6人が利用でき、シャワー、トイレ、寝具、キッチン(冷蔵庫、炊飯器、フライパン、なべ、皿など)が付いていて快適に過ごせます。
宿泊
1棟10,000円(午後4時~翌午前10時)
休憩
1棟1時間500円(午前10時~午後4時)
コンロ貸出・木炭
各500円
問い合わせ先
市農業振興課(電話番号:22-1500)

森の吊橋
渓谷にかかる森の吊橋は、延長30m、幅1.5mで、川面から10mの高さがあります。床板は木製で仕上げてあり、板のすき間からも川面を見下ろすことができます。

高峰展望台
木造2階建て床面積が70㎡の展望台からは、多良岳から橘湾や大村湾までを一望することができます。

夏景色 川面にぎわす 山河童
富川渓谷は奥座敷の名にふさわしく、豊かな緑と清らかな水に恵まれた絶好の避暑地です。
夏になれば、楽しそうに遊び笑う子どもたちの声が渓谷にこだまします。街の喧騒から抜け出して、一歩足を踏み入れれば、まさしく富川が万年の時をかけて作り上げた、雄大な自然の景観があなたを出迎えてくれるでしょう。

【参考文献】
諫早を歩く(山口八郎 著)

新緑に包まれた富川渓谷
富川渓谷

五百羅漢像
五百羅漢像

新緑にたたずむバンガロー
バンガロー

新緑の中の森の吊橋
森の吊橋

富川で遊ぶ子どもたち
富川で遊ぶ子どもたち

お問い合わせ
総務部 秘書広報課
〒854-8601  長崎県諫早市東小路町7-1
(秘書担当:本庁・本館4階)
(広報担当:本庁・本館5階)
電話番号:0957-22-1500
ファクス:0957-23-6031

より良いウェブサイトにするために皆様のご意見をお聞かせください

 この情報は役にたちましたか?

読み込み中 ... 読み込み中 ...

 この情報のページは見つけやすかったですか?

読み込み中 ... 読み込み中 ...