諫早万灯川まつり
毎年7月25日には、本明川河川敷一帯で「諫早・川まつり」が行われています。これは、諫早地方を襲った昭和32年の集中豪雨で犠牲となられた630人の尊い御霊のご冥福をお祈りするとともに、災害に強いまちづくりへの決意を新たにするために行われているものです。

諫早大水害
昭和32年7月25日、諫早地方をおそった記録的な集中豪雨のため、本明川をはじめ付近の諸川はほとんど氾濫しました。上流では山津波がいたるところで起こり、土石流は多くの田畑を岩石で埋めつくし、一瞬にして多くの住居と人々をのみこみ、下流では大洪水をもたらす未曾有の惨状となりました。
本明川を中心に形成された市街地は水没し、いたるところに泥土と流木の山をつくり、空き地には流れた家や家財が堆積して足の踏み場もないほどになりました。そしてこの災害の結果、死者・行方不明630人もの犠牲者がでました。

一周年追悼会
諫早市民が死の恐怖にさらされた運命の日からちょうど1年後、市内は弔旗を掲げ、水魔の犠牲となった犠牲者の御魂安らかれと全市民が祈りをささげ追悼の1日を送りました。
この日は、午前11時30分から市主催の合同慰霊祭が行われ、午後8時30分から災禍の中心となった眼鏡橋上で一周年追悼会を開きました。当時、眼鏡橋の周辺は護岸がえぐり取られて足場が悪く、このような場所に多数の市民を集めることは安全が保障できないと関係機関から強い反対を受けましたが、一周年追悼会だけは思い出深い眼鏡橋上で開きたいという強い希望があり、その希望が実って開催の運びとなりました。定刻とともに250個の裸電球で飾られた眼鏡橋が夜空に浮び、付近一帯には当時の青年協議会の手によって2,000個の万灯が灯されました。河原にまたたくローソクの灯火は、蛍火のようにあやしく輝き、両岸を埋めた1万5千人の観衆からは、せきとし て声なく一瞬諫早市全体から音が消えたのではないかと思わせるほどの静寂さであったといわれています。
その後、午後9時30分、美しく輝き続けた万灯もとぼしくなり、やがて安らかな西方浄土にお帰りになる御魂を美しい花で送ろうと、慰霊の花火を打ち上げ、追悼会は静かに幕を閉じました。
この一周年追悼会の開催が発端となって追悼川まつりとなり、現在では毎年7月25日に決まって開く「諫早万灯川まつり」となりました。

【参考文献】
諫早大水害20周年復興記念誌

ライトアップされた新眼鏡橋と1500発の花火
ライトアップされた新眼鏡橋と1500発の花火

市民の手によって本明川には万灯が流されます
市民の手によって本明川には万灯が流されます

水害犠牲者のご冥福を祈って(諫早・川まつりにて)
水害犠牲者のご冥福を祈って(諫早・川まつりにて)

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